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写真集『祝福の街』糸崎公朗
¥1,500
種別:カラー写真集 サイズ:182㎜×257㎜ 44P平綴じ **** ステイトメント 『祝福の街』 日本には古来より「国褒め(くにほめ)」という言葉がありました。古代の日本では国家を統治する天皇が、国土の美しさや豊かさを褒め称え、平和と繁栄を祈願する「国褒め」が行われていました。 いっぽう、戦後日本は民主主義国家になりましたから、国家の主権も天皇から「国民」へと移りそして私たち一人一人が「国褒め」の役を負うようになったのです。いまの時代は誰もがスマホで写真を撮るようになり、「いいね!」と思った風景や日常の瞬間をSNSでシェアしますが、その行為こそが現代の「国褒め」なのです。 そして私自身も作品として街の風景写真を撮り、それ以前から「フォトモ」と名付けた3D写真技法で街を表現してきましたが、それも含めて「国褒め」だったことに改めて気づくのです。そのようなわけで、本書は私が住む秦野市の風景を撮影した写真集ですが、自分なりの新しい「国褒め」であることの意味を込めて『祝福の街』のタイトルにしたのです。 そもそも私は2023年6月に神奈川県藤沢市から、同じ県内の秦野市に引っ越してきたのですが、そうすると街並みが新鮮に見えて風景写真が撮りたくなったのです。 実は歴史的に見ると、私たちが当たり前だと思ってる「風景」というものは、「移動」の感覚と深く結びついているのです。近代以前の人々はその多くが農業を基盤とした定住生活をしており、生まれた土地から一生出ることがありませんでした。すると目に見えているはずの「風景」も当たり前過ぎて「風景」として認識することができないのです。しかし近代になると交通網が発達して人々が「旅行」のかたちで「移動」するようになり、すると故郷との落差によって「風景」の素晴らしさが発見されるのです。 ところが江戸時代の日本は「お伊勢参り」のかたちで徒歩による「旅行ブーム」が起き、それによりヨーロッパに先駆けて「風景」が発見され、「風景絵画」としての浮世絵が登場し、庶民に親しまれたのです。そして近代になると江戸の浮世絵がヨーロッパに渡り、印象派をはじめとする 「風景絵画」に強い影響を与え、同じくヨーロッパで発明された「写真」にも、多大な影響与えます。その意味で画家のセザンヌも写真家のカルチェ=ブレッソンも北斎や広重の忠実な弟子でありその感覚がまた日本に逆輸入されたのです。 ですから私も先人に倣って「北斎の弟子」のつもりで風景写真を撮っているのですが、師匠をコピーするだけではその意思を継承したとは言えません。 そこで今回、私は撮影機材としてデジタルカメラ「SIGMA fp」と「ULTRA WIDE HELIAR 12mm F5.6」というレンズの組み合わせをセレクトしたのです。このレンズは肉眼を遥かに超える超広角と、強烈なパースペクティブ、そして周辺光量が極端に落ちるという特徴がありますが、今回はこれを「標準レンズ」として扱い、それだけで写真を撮ったのです。 加えて「SIGMA fp」には「FOVクラシックブルー」というカラープリセットが装備され、文字通りブルーが強調されたその色合いが、12mmの画角と秦野の街並みにもマッチしているように思えこれを活かしながら「写真」として仕上げました。今回はそのようにして私なりの「国褒め」を表現してみたのです。 糸崎公朗
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写真集『ニッポンのうれしい場所』糸崎公朗
¥1,500
個展『ニッポンのうれしい場所』(2024年5月24日〜6月4日)に併せて製作した写真集です。 サイズ:182㎜×257㎜ 44P平綴じ **** コロナ禍明けの昨今、日本を訪れる外国人観光客は以前より増加し、東京都内の繁華街や観光地も多種多様な国籍の人たちであふれています。その表情はみなうれしそうで、それを見る私自身もまたうれしい気分になります。 かつて日本を「悪い場所」と評した評論家がおりましたが、今や世界中の人々が、長い歴史に根差した特有の文化を持つ日本を「良い場所」と認めているのです。 私は自分のこの感覚を率直に「写真」で表現しようとしました。ところが近年、写真文化としてのストリートスナップは、社会をとりまくデリケートな問題により、ともすれば萎縮せざるを得ない状況にあります。 そこで私はこの打開策の一つとして、自ら撮影した写真に、生成AIによる人物像を加える表現を思い立ちました。これら人物像はAdobe Photo Stockにより著作権と肖像権をともにクリアされています。AIによりすげ替えられた人々の表情は活き活きとして豊かで「AIには人間のような感情がない」と言いきれない程リアルです。 そもそも写真は19世紀の発明当初から、手描きに取って代わる「自動生成絵画」の意味合いがあり、多くの画家を失業に追い込みました。しかし一方で、印象派にはじまる新しいアートが産まれ、「写真」もまたアートとして発展することになり、現在のデジタル技術のめざましい進歩を経て「AIアート」にまで至ったのです。 そこで私は本作品を、日本と世界の人々に対する「祝福」の気持ち、人類の技術発展に対する「祝福」の気持ちを込め、制作したのです。